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DANCE CLUB ELFIN 営業予定表

2011年12月22日

今日のエルフィン 21/Dec/'11/Wed

今日のエルフィン 21/Dec/'11/Wed
DJトモトモ★のHipHopパーティ!!

DJ TOMOTOMO (Hiphop,R&B/Japan)
ShowCase Master Dancer Aki❤


エルフィンでヒップホップ燃える
音楽好きらでフロアーいっぱいに


Hiphopを中心にSugary Clubはじめ各地のクラブで人気急上昇のDJトモトモ(右写真)は、11月12日のエルフィングライドに続き、今回は2回目の登場でした。フロアーは音楽関係者ら、ファンで大盛況に。SLジャパンのクラブシーンで、かつて盛んだったHiphopの炎を再び燃してくれそうです。今日のエルフィン 21/Dec/11/Wed

ルビちゃんのレポート★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
今日のELFINはHiphopなDJともさん。先月に続いて2度目の登場です。
ELFINでプレイするDJさんは早めのテンポの方が多いんですけどともさんは結構ゆったり目の感じなんです。だからELFINでは結構新鮮ですよね。このリラックスした感じがとてもいいんですよ。

ヒップホップ、とっても新鮮でした
来月もまた来てほしいな


フロアもほぼ満員でみなさん、DJともさんに大きな声援を送ってました。
中盤過ぎあたりにハウスDJに変わってしまったりwとか、Hiphopを中心にいろいろやってもらえました。
わたしは最後の方のMerry Christmas,Mr LawrenceのMIXがよかったです。
また来月もELFINでぜひやっていただきたいですね。
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DJトモトモのコメント
前回よりも、のびのびできました
ーーともさん、おつかれさまでした^^。ぶろぐたんとうのあきです。
とも「どもども!!。途中むちゃくちゃにw」
ーーいえいえ、きょう、わたしがしょうますさせていただきました^^。とても楽しかったです^^
「いえいえ!、有り難うございます!!」
ーーこめんとをいただいてもいいですか?
「はい、今日が2回目のエルフィンさんでスピンさせていただき、前回よりのびのびさせていただきました!!」
ーーコンセプトは
「自分の音源のテンポ低いので、スタッフさんが盛り上げてくれたことが、気持ちよく廻せた結果だったと思います。また機会をいただけたらうれしいです。以上っすw」
ーーはい、ありがとうございます^^。とてもすてきでしたねえ^^。

クレアさんの解説 Crea Shepherd
かつてとっても盛んだったヒップホップ
エルフィン挙げて応援したいワ!

今夜のDJのともさんは、ヒップホップだったわね^^。ヒップホップは、クラブミュージックのジャンルというより、ひとつの文化、生活スタイルです^^。
普段、エルフィンのフロアは、いままで、ほとんど、四つうちといわれているハウス、トランス、テクノ等が多かったけど、今夜は、ゲストの皆さんも、あたしたちスタッフも、ヒップホップに触れることで来て、とてもよかったです^^。
昔ね、エルフィンできたばっかのころ、ヒップホップが各地でとても盛んでした。でも、DJさん気難しい方おおくて、なかなか、エルフィンに来てくれなかった^^;
ともさんは、とても親しみやすくて、親切で、DJをお願いしたときにもご快諾^^。
昔ね、HIPHOPOPのDJさんに、政治とか、難しいお話されて、困ったことあったけど、ともさんは、これから、HIPHOPをきっと、いい形で広めて入ってくれると思います^^。
エルフィンあげて、みんなで、応援したいです^^。


ショウケース
urara Mintさんのレポート
ヒップホップ見事に受け止めたエルフィン
今日はわたしのフレンドでエルフィンダンサーのakiちゃんがショーケースのセンターと聞いて飛んできました!
ヒップホップと言うリズムのとり方がとても難しい音楽を見事にこなしてくれました。
センターを努めるのは今回4回目との事ですが、すぐ後ろにオーナーでベテランダンサーのクレアさんがいる環境ながら、見事にショーケースをこなしてくれました!わたしだったら緊張してしまいます^^;
DJはtomotomoさん。ヒップホップサウンドはエルフィンでも指折り数える程度ですが、この世界としても海外を含め少ないイベントです。個人的に思うのはテクノやトランス、エレクトロニカに比べてヒップホップは明らかにダンスをあわせるのが難しく、結果ヒップホップサウンドを手がけるDJさんが少ないのではないかと感じるのです。
それを真正面から受け止められるのはやっぱりエルフィン! そんな大舞台のショーケースを収めたakiさんお疲れ様でした^^。

ショウケースマスターはAki、参加したダンサーはAki、かぜ、ルヴィ、こちゃ、クレアの5人編成
ダンマスは前半ルヴィ、後半こちゃ。
今日のエルフィン 21/Dec/11/Wed
今日のエルフィン 21/Dec/11/Wed



音楽のうんちくコーナー
ヒップホップ(hip hop)の巻
DJアフリカ・バンバータが名付け親
アフロ・アメリカン文化を「とべ!とべ!」って励ます


※リンクいっぱいつけたから、マウスでなぞってみてね^^
今日のエルフィン 21/Dec/11/Wed今日のエルフィン 21/Dec/11/Wed
「ヒップホップ(hip hop)」とは、正確には1970年代のニューヨーク・ブロンクス区で、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系住民たちの中から生まれた文化のことを指しています。で、音楽のヒップホップは、ラップとも呼ばれていてヒップホップ文化の一部というわけです。
「ヒップホップ」の”名付けの親”は、ミュージシャンでDJのアフリカ・バンバータ(上写真左)。
「アフロ・アメリカンが、文化(音楽、ファッション、アート)を取り入れ、新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップ(hipもhopも弾ける、躍動するという意味)と名付けたといわれます。
アフリカ・バンバータは、エレクトロファンク(英: Electro; electro-funk もしくは electro-boogie の略称)の創始者。またヒップホップにおいてクール・ハーク(上写真右)、グランドマスター・フラッシュ(写真下)と並んで、ヒップホップの創始に関わった3大DJの一人です。
この中でグランドマスター・フラッシュは、「Adventures on the Wheels of Steel」において、レコード盤をガリガリ言わせながら演奏するスクラッチの手法を初めて発表したことで有名です。実はスクラッチを発明したのはグランドウィザード・セオドア(Grandwizard Theodore)と言われています。
アフリカ・バンバータは、ヒップホップ文化について①DJ②ブレイクダンス③グラフィティ④ラップーーが最も大切な4要素と主張しました。この中で「グラフィティー」というのは地下鉄のガードや道路の壁など、あちこちに書かれた落書きのようなアートのこと。今では日本でもすっかりおなじみ。④番目の「ラップ」が「ヒップホップ」の音楽のことですね。

ラッパーがMCと呼ばれるのは

「ラップ(rap)」とは、音楽手法、歌唱法のひとつ。小節の終わりなどで韻を踏みながら、あまりメロディを付けずに、リズミカルに、喋るように、歌う方法。MCingと呼ばれることもあります。

ラップをする人のことをラッパー(rapper)っていいますが、MCとも呼ばれます。
なんで、MC(エムシー)とも言うのかというと、ヒップホップが始まった頃に、MC、つまり司会者はDJのプレイの盛り立て役でもあったので、曲と曲の変わり目や機材トラブルの時に、ラップでフロアーを盛り上げでたようです。そのなごりっていってもいいのかな。
ラップは言葉遊びにも似ているので、だから当初は、ヒップホップ文化の中でさえも一時的な流行と思われてたんだって。それが大化けして世界に受け入れられているのね。

ルーツはやはりアフリカ、在米アフリカ人か
このようなヒップホップ音楽のルーツについては、初期のラッパーたちは全く独自に作り上げたと言う人が多いのですが、例えば、
①アフリカ文化に見られる「グリオ」という音楽
②1960年代から詩を朗読するスタイルのミュージシャンたち、つまり「ラスト・ポエッツ」「ギル・スコット=ヘロン」のような人たち
③ニューヨーク・ブロンクス区のような街中で、よく聞かれた「ダズンズ」と呼ばれるような言葉遊び
④ジャマイカの「ダンスホールレゲエ」
ーーなどが影響しているとも言われています。
つまり、西アフリカの文化とアフリカ系アメリカ人の音楽ということなんですねえ^^。

オールドスクール時代 (1970年代初め - 1986年)
サンプラーが”生みの親”?
オールドスクール時代は、70年代初めのニューヨークでクール・ハークなど、ブレイクビート*をプレイするDJの出現とともに始まったオールドスクール時代には、例えばシュガーヒル・ギャングのように、ディスコミュージック、ソウル、ファンクの音源をしばしばサンプリングした。
しかし多くはドラムマシンとブレイクのみでトラックが作られた。
(*ブレイクビートとは、サンプラー等を使って、既存のリズムを分解した上で再構築したものです。その元祖はヒップホップですが、最近では、テクノの分野でブレイクビートを取り入れたものが非常に注目されています。その中には、ビッグビートという呼ばれ方をされるものもあります)
ファットバック・バンドの「King Tim III (Personality Jock)」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」などを皮切りに、ラップは次第に人々の人気を集め始めました。80年代には、カーティス・ブロウが清涼飲料のスプライトのCMにも出演したりするようにもなりました。

ゴールデンエイジ・ヒップホップ (1986 – 1993)
続々とヒットが生まれた
ニューヨークが舞台の中心となったゴールデンエイジ・ヒップホップの時代は86年のRun D.M.C.1986年のアルバム「レイジング・ヘル」の人気から始まり、88年には、DJジャジー&フレッシュ・プリンス(現在のウィル・スミス)がラップで初のグラミー賞を受賞しました(http://www.youtube.com/watch?v=nq0LOlcDp-Q)。
その後の93年以降は、ヒップホップのサブジャンルの一つのGファンク(http://www.youtube.com/watch?v=ddxZX6loieo)が人気を集め始めるようになったり、ランD.M.C.が、ハードロックバンドのエアロスミスとコラボレーションした曲「Walk This Way」が大ヒット。この曲はMTVでもヘビーローテーションとなって、米国のトップ5(ビルボード)になった最初のヒップホップといわれています。
また、サンプリングを取り入れた曲が発表されるようになったりして、さらにヒップホップ、ラップ音楽は発展していきました。



Posted by Akiee at 20:00│Comments(0)
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